大阪高等裁判所 昭和61年(う)187号 判決 1986年7月10日
本籍
京都市伏見区石田内里町八七番地の一
住居
同町四二番地の一
貸ガレージ業
木下静男
昭和三年一一月二七日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六〇年一二月二六日京都地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。
検察官 八木廣二 出席
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一〇月及び罰金二五〇〇万円に処する。
被告人において、右罰金を完納することができないときは、金四万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
被告人に対し、この裁判の確定した日から三年間、右懲役刑の執行を猶予する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人三浦正毅作成の控訴趣意書記載のとおりであり(但し、控訴趣意書第一点中、被告人の検察官に対する供述調書につき証拠能力のない証拠を採用して罪証に供したことをいう点は、事実誤認の裏付けとして主張する趣旨であって、訴訟手続の法令違反を独立の控訴理由として主張する趣意でない旨、弁護人において釈明した。)、これに対する答弁は、大阪高等検察庁検察官検事八木廣二作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。
一、控訴趣意第一点について
論旨は、要するに、被告人は、昭和五八年度及び昭和五九年度の所得税に関し、全日本同和会が合法的に安い税金ですむよう申告をしてくれるものと信じて、同会にその各確定申告を依頼したのであって、原判示のように不正の行為によって所得税を免れる犯意を有しないのに、任意性、信用性のない被告人の検察官調書を含む原判決挙示の証拠により、右各年度の所得税につき、被告人に不正の行為により所得税を免れる犯意があったと認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。
よって、所論及び答弁にかんがみて検討するのに、原判決挙示の関係証拠によれば、以下に説示するとおり、所論指摘の被告人の犯意の点を含め、原判決認定の事実を優に肯認することができる。
(一) 被告人の検察官に対する供述調書の証拠能力及び信用性について
所論は、任意性及び信用性を争う被告人の検察官調書を明確に特定していないけれども、それは、原判決が証拠として挙示している昭和六〇年八月二七日付(原判示事実全部に関するもの)、同月三〇日付(原判示第一の事実に関するもの)、同年九月三日付、同月四日付及び同月六日付(以上原判示第二の事実に関するもの)各検察官調書を指しているのであり、殊にこれらの検察官調書中の犯意に関する被告人の供述につき、それが犯意をでっち上げようとした検察官の作文であって被告人の任意にした供述でなく、事実に全く反するものである旨主張するものと解される。しかしながら、被告人は、原審公判廷において、捜査段階における検察官の取調及びこれと並行して行われた収税官吏の調査に強制はなく、供述調書及び質問てん末書を読み聞かされた上署名押印した旨供述しているのであって、これに加えて、被告人が自ら貸ガレージ業を営み通常の社会生活を送っている事実を併せ考えると、原裁判所が被告人の学力や表現力を検討せずに予断と偏見に基づいて証拠能力を認めたという所論の論難はあたらず、所論指摘の前記各検察官調書の任意性に疑いはなく、その証拠能力を認めた原裁判所の判断に誤りはない。また、右各検察官調書に録取されている供述の内容をみると、原判示各年度に二度にわたり、土地を売却した代金合計四億五〇〇万円を取得した事情、右売却代金の使途、所得税確定申告を全日本同和会に依頼するに至った事情及びその際の被告人の心境等について具体的詳細な叙述がなされており、その内容じたいに不自然、不合理な点もなく、他の客観的証拠とも矛盾せず、高度の信用性を有するものということができる。
(二) 被告人の犯意について
原審で取り調べた証拠を総合すると、いわゆる同和地区諸団体の一つである部落解放同盟中央本部及び京都府部落解放企業連合は、かねて納税問題を対象地域住民の経済的基盤の問題としてとらえ、住民の納税申告の代行をするとともに、大阪国税局長に対し、同和対策控除の必要性を強調し、その立法化をみるまで、局長権限によるその実現を要求し、一方同和対策事業特別措置法の施行に伴い、昭和四五年二月一〇日同和地区納税者に対して実情に即した課税を行うべき旨の国税庁長官通達が国税局長あてに発せられたこと、その後全日本同和会(以下同和会という。)京都府市連合会も、同和地区住民の納税申告の代行をするとともに、税務当局に対し同様の要求をするに至ったこと、以上のような情況下において、大阪国税局長ないし京都府下各税務署長等税務当局は、これら同和地区諸団体の右要求を受け入れる旨公式に表明したことはなかったが、京都府下の税務署の場合、これら諸団体の代行する納税申告については、多額の架空の経費(損金)計上などの方法による極端な税額の圧縮が行われていても、申告書類に形式上の不備さえなければ、税務当局の裁量により、これをそのまま認容するという取扱いが一般化し、同和会京都府市連合会が多数の申告に際し提出する経費(損金)の発生を証明する文書が偽造ないし虚偽記載のものであると容易に看破しうるのに、これを看過するような事態にまでなっていたこと、被告人は、昭和五七年六月三〇日、京都市伏見区石田内里町四四番地一ないし三の田、一、七八二平方メートル(以下<イ>の土地という。)を千代田土地株式会社に対して、代金二億円で売却し、同日手付金二〇〇〇万円、昭和五八年一月一九日に残金一億八、〇〇〇万円の支払を受け、売却仲介手数料五〇〇万円を含む譲渡費用二、一九六万五、四〇〇円を支出したこと、昭和五九年五月一五日、同町四二番一の山林八六〇坪(以下<ロ>の土地という)を床尾芬に対して代金二億五〇〇万円で売却し、同年二月二日手付金五〇〇万円、同年四月七日内金一、五〇〇万円、同年五月一五日に残金一億八、五〇〇万円の支払を受け、売却仲介手数料六〇〇万円を含む譲渡費用六一〇万八、一五〇円を支払ったこと、これより先、被告人は、昭和五三年にもその所有する土地(以下<ハ>の土地という。)を京都市に一億一九三万二、九二八円で売却した際、所轄伏見税務署の係官から、右譲渡所得にかかる所得税額二、四〇〇万円を申告、納付するよう指導されたが、自ら同係官に種々陳情を試みた結果、同係官から即時全額を納付するという条件で税額を一、二〇〇万円に減額してもらい、それに則り申告、納税をすませた経験があり、その経験から昭和五八年度の所得税については、それに比べはるかに高額な二億円という売却代金で<イ>の土地を売却したのであるから、その譲渡所得にかかる所得税の税額は、少なくとも四、〇〇〇万円ないし五、〇〇〇万円になるであろうことを予測したこと、被告人の居住している辰巳地区では、同和会に依頼して納税申告をすれば、極端に税額が少なくなるという噂が流れており、昭和五八年度の所得税確定申告に際し、被告人は、このような噂を耳にするとともに、村井英雄から、同和会ではうまい具合に所得を減らして税金が安くてすむようにしてくれると言って同和会に申告を依頼するようにすすめられたので、昭和五九年二月、同和会京都府市連合会事務局長長谷部純夫に対し、<イ>の土地の売却代金二億円の譲渡所得を含む昭和五八年度の所得に関する所得税の確定申告を右売買に関する証憑書類を添えて依頼し、その処理を一任したこと、これらの事情に加え、被告人は、前記<ハ>の土地の売却による譲渡所得に関する所得税納付の際にも、弟から、同和の組織で活動している人に頼めば、右税額が謝礼を含めて三〇〇万円ぐらいになるよう処置してくれる旨聞いていたので、右申告依頼に際し、長谷部から税額がいくらになるかは聞かなかったが、内心で一、〇〇〇万円を越えることはあるまいと考えていたこと、右申告依頼を受けた長谷部は、原判示第一のとおり、渡守秀治、鈴木元動丸らと順次共謀のうえ、昭和五九年三月一四日所轄伏見税務署長に対し、架空の損失を仮装し昭和五八年度所得税額が八万五、一〇〇円である旨の内容虚偽の被告人に関する確定申告書を提出したこと、以上の事実が認められる。
右事実に加え、被告人は、同日ころ、同和会辰巳支部事務局長村井信秀から、所得税額が八万五、一〇〇円であると聞かされるとともに、右所得税確定申告に関する書類の控を受領しており、したがってそのころ原判示のような多額の架空の損失を仮装することにより多額の所得税を免れたことを知ったと認められるのに、八万五、一〇〇円という税額の余りに少額なのに驚いただけで、長谷部らのとった措置になんら異議を述べることもなく、同和会の要求するままに五三〇万円もの多額のカンパを拠出している事後の事情も併せ考えると、被告人は、長谷部に対し前記のように昭和五八年度所得税の確定申告を依頼するに際し、前記<イ>の土地の売却による譲渡所得につき、同人らが証憑書類に手を加えて、売却代金額を圧縮し、あるいは架空経費(損金)を計上するというような手段を用いて確定申告をし、かなり多額の所得税を免れる措置をとるであろうことを予測し認容していたこと、また被告人は、同和会に依頼して納税申告をすると、このように所得税を免れることができるのは、同和団体の力と税務当局の目こぼしによるものであって、それが正当な申告納税であるとは考えていなかったことを推認するに十分である。そうしてみると、被告人が前記のように長谷部に対し昭和五八年度所得税の確定申告を依頼した際、被告人に不正の行為により右所得税を免れる犯意があり、同人との間でその旨の共謀が成立したことが明らかであり、原審及び当審における被告人の供述中、右所得税のほ脱に関し犯意がなかった旨のべる部分は、上記説示れに照らしてとうてい信用できない。
そして、右昭和五八年度の所得税につき、被告人に不正の行為により税を免れる犯意があり、かつ前記のように右所得税の確定申告の直後、被告人がその申告に関する書類の控を見て、所得税ほ脱の内容を知ったものと認められる以上、前記<ロ>の土地の売却代金二億五〇〇万円にかかる譲渡所得を含む昭和五九年度の所得に関し、前年同様同和会京都府市連合会事務局長長谷部純夫らに所得税確定申告をすることを依頼し、不正の行為により同年度の所得税を免れた原判示第二の事実について、被告人に犯意があったことは多言を要しない。
その他、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をあわせて検討しても、原判決には所論の事実誤認はない。
二、控訴趣意第二点について
論旨は、量刑不当を主張するので、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して考察するのに、本件は、前示のとおり、二年度にわたり、多額の架空の損失を仮装するという不正の行為により所得税を免れたという事案であるが、そのほ脱額は両年度合計九、八九六万五、三〇〇円に達し、ほ脱率も非常に高率であること、被告人は、さきに説示したように、原判示第一の事実に関しては、そのような高率のほ脱が行われるとは予測していなかったけれども、同判示第二の事実に関しては、前年度の経験から事前に極めて高率のほ脱が行われることを知って納税申告を依頼していること等に照らすと、その犯情は重いものであるといわなければならない。しかしながら、本件犯行の原因の一つは、原判決も指摘するとおり、同和団体の行う不正の所得税ほ脱を安易に容認して放置してきた税務当局の態度に求められるものであること、本件のようなほ脱率の高い脱税が行われたのは、同和会側のイニシアティブによるものであって、被告人は、当初そのような極端な脱税を目論んでいたのではないこと、被告人が本件各所得税の確定申告を同和会に依頼するに至ったのには、脱税の結果被告人から多額のカンパを拠出させようとした同和会側の勧誘も又与っていると認められること、被告人には過去に前科前歴がなく、本件犯行を反省していること、昭和六〇年九月四日本件各年度の正当な所得税額を完納していること等の被告人のために酌むべき事情を含め諸般の情状に照らすと、被告人を懲役一〇月及び罰金二、五〇〇万円に処した原判決の量刑は、懲役刑につき実刑に処した点において重きに過ぎるものと認められる。論旨は理由がある。
よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに判決することとし、原判決の認定した事実に、原判決摘示の各法条のほか刑法二五条一項を適用して(被告人が重加算税の納付を了したという原判決後の事情をも考慮する。)、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石松竹雄 裁判官 鈴木清子 裁判官 松浦繁)
○ 控訴趣意書
被告人 木下静男
右の者に対する所得税法違反被告事件についての控訴の趣意は左記のとおりである。
昭和六一年三月一七日
右弁護人 三浦正毅
大阪高等裁判所第五刑事部 御中
第一点 被告人には脱税の犯意が存在せず、有罪の判定を下した原判決には明らかに判決に影響を及ぼす事実の誤認があるので、その破棄を求めるものである。
一 原審は、「そもそも、税は法律に基いて課せられるものであり、法律に定める各種の控除を漏れなく受けたかどうかとか、法定の各種特例措置を利用したかどうか等によって税額が異なることがあっても、特定の団体を通じて申告したかどうかによって異なる性質のものではないのであって、もし仮に特定の団体を通じて申告した場合に、税額がそうでない場合より少なくなり、特にそれが著しいようなことがあるとすれば、それは税務当局あるいはその担当者が、その特定の団体の圧力や賄賂等のため法律の適用を歪めたり、虚偽の申告を見逃したりなどして正規税額によらなかったためであるにすぎないことは容易に知りうべきであるところ、被告人自身当公判廷において、判示第一の昭和五八年分の正規の所得税額を四、〇〇〇万円から五、〇〇〇万円と予測していたのに、わずか八万五一〇〇円ですんで、えらく安くなったと思い、同和会の税務対策の力はたいしたものやと考え、その要求に従い支払った税額の六〇倍を越える五三〇万円ものカンパ金を同和会に支払い、同様に昭和五九年分の所得税の申告を同和会に頼んでした旨いうのであって、この被告人の言うところによっても、『正当なやり方で安くしてくれるものと思っていた』との弁解の不合理なことは明らかであり、むしろ、右の被告人のいうところによれば、被告人は同和会の税務当局やその担当者に対する力を利用して支払うべき所得税を免がれようとしたもので、その具体的な方法については知らなかったにせよ、同和会の力で税務当局やその担当者に法律の適用を歪めさせたり、虚偽の申告を見逃させたりするなどの不正な方法によるものであることを充分予見しこれを認容していたと推認できるのであって、その他取調べた証拠を総合すれば被告人に判示各事実について右のような脱税の犯意のあったことは明らかである。」としている。
すなわち、被告人に脱税の犯意が存在したとする理由として、述べるところのものは前段において法律上の理屈に基づくものであり、後段はカンパ金と称する申告手続の礼金が高額なところからの推認でしかない。
二 我が国の所得税の納税制度は給与所得などの特別な場合を除いて申告納税制度がとられている。申告納税制度とは自己の所得金額及び税額を自ら正確に計算し、自主的に納税する制度である。従って自己の所得金額及び税額を自ら正確に計算しなければならない為、一般人にはなかなか困難なことである。各種の控除が認められたり、特別の措置により税額が減免されたりなどしているため、税法の知識がないものにとっては「税額を自ら正確に計算する」ことは容易なことではないのである。原審のいうとおり税制上の理屈では我が国は租税法律主義をとっており、法定の各種特例措置の利用によって税額は決まってくるのではあるが、現実の課税の場において、かなりの行政的措置、行政的配慮などの裁量行為がなされているのである。現に我々弁護士業務を例にとっていえば、国税当局との話合いの結果により、白色申告の場合、収入の三割を必要経費として認める措置がとられているのである。また、一般の商工業者の場合でも必要経費等の判断は税務当局によってかなりの配慮がなされており、源泉徴収を受ける裁判官や検察官が理屈で考えているような現実ではないのである。これらをもって特定の団体の圧力などをもって法律の適用を歪めるものということは、徴税行政の現実を知らぬ者の言としか言い様がない。
三 原審は「同和会の税務対策の力は大したものや」と考えた被告人が税額の六〇倍を越える五三〇万円のカンパ金を支払ったことをもって「同和会の力で税務当局に法律の適用を歪めさせ、虚偽の申告を見逃させたりなどの不正な方法による申告であることを予見し、認容した」旨判断しているが、五三〇万円のカンパ金を支払ったのは昭和五八年度の申告手続が終わった後に同和会から求められて支払ったものであって、昭和五八年度の申告依頼に際し約束したものではなく、申告という実行行為終了後になされたものであって、昭和五八年度の税の申告を依頼するにつき脱税を意図としていた根拠とはなりえないものである。カンパは五三〇万円ではあるが、土地の売買代金は二億円であり、その価額からすればたった二・五パーセント程度の礼金であり、被告人は売買価額からしてこの程度の額はやむを得ないものと考えたものであり、多額の脱税を依頼したのだからやむをえないと考えて支払ったものではないのである。
四 同和地区の団体には部落解放同盟、全国部落解放運動連合会(全解連)、全日本同和会等があるが、部落解放同盟は昭和四〇年八月に同和対策審議会が行った「同和地区に関する社会的及び経済的諸問題を解決するための基本策」と題する、いわゆる同対審答審、及びその答審により昭和四四年七月制定公布された同和対策特別措置法の精神に基く、納税問題を地域住民の経済的基盤の問題ととらえて「税務対策」との名称で申告手続の代行等を行って来た。それは昭和四三年一月に交わされた大阪国税局長と部落解放同盟との間の確認によってなされてきたものである。確認された事項は「同和対策控除に必要性を認め、租税特別措置法の法制化につとめる。その間の措置として局長権限による内部通達によってそれに当てる。」等である(添付資料一参照)。また、国税庁長官は昭和四五年二月一〇日国税局長宛に「同和地区納税者に対して、今後とも実情に即した課税を行うよう配慮すること」との通達を発遺しているのである。この「実情に即した課税を行うよう配慮する」という言葉の意味は、明らかに裁量を働かせて良いということを認めたものであり、その結果、課税の配慮を求める申告手続がなされて来ているのである。(添付資料二、三、四参照)。
五 全日本同和会京都府・市連合会は、昭和五五年一二月八日京都府内の筆頭税務署長であるところの上京税務署長へ、右の確認事項と同旨の要望書(添付資料五参照)を提出し、その要望を受け入れる旨の口頭による確認を得て、昭和五六年二月頃より、税務対策ということで税務申告の代行をするようになった。
被告人が居住する伏見区石田内里町はいわゆる同和地区であり、辰巳地区と呼ばれ被告人自身同和地区の出身者である。
辰巳地区においては部落解放同盟辰巳支部が地区民によって組織され、かなり、以前から税務対策の名称で地区の同盟員の税金の申告手続を代行していたものである。昭和五六年六月頃辰巳地区に運動方針等を異にする全日本同和会京都府・市連合会辰巳支部が結成され、その地域活動の一つとして税務対策が同様に行われるようになったのである。
被告人が同和団体に税金の申告手続を依頼するようになったのは同和会の役員から勧められた昭和五七年度の所得税の申告からであったが、辰巳地区においては、それまでに解放同盟あるいは同和会によって多くの申告手続きがなされ、右の同和団体に申告手続をしてもらうと税金が安くて済むという噂がいきわたっていたからである。また、安い税金で済むということが脱税をしているというものではなく、同和対策による特別な配慮であるということで安くなるとの説明もなされていたのである。現に京都において同和団体が税金の申告手続を代行するようになってから一〇数年の経過があり、その間脱税が問題とされたことはないし、また同和会が昭和五六年二月頃から扱うようになってからも昭和五九年二月までの三年の間同和会の申告が不正の方法でなされたもので違法なものとして脱税の摘発を受けたこともなかったのである。
さらに被告人は昭和五三年にも土地を売却したことがあり、その際、二四〇万円の税金を支払えとの通知があったところ、一人で何回か陳情をした結果半額の一、二〇〇万円で済して貰った経験もあったので事情によっては税金を安くしてもらえるものと思っていたのである。
六 被告人は右のように同和団体の申告が何ら問題とされることなく受理されてきた経緯、また自らが税金を安く済して貰った経験等から、同和会に税金の申告を依頼することになったのである。被告人は安い税金で済むことを期待をして昭和五九年二月長谷部らに対し所得税の申告を依頼したことはまちがいがないが、あくまでも法に触れない方法、範囲での申告をしてくれるものと思ったのであって、不正の申告、違法な行為を依頼したのではないのである。あくまでも「同和地区に対する配慮」が適法な範囲でしてもらえるものと思っていたにすぎなかったのである。その結果昭和五八年度の所得税は余りにも低い額で済んだことに驚きはしたが、その後の申告書内容等に対する税務署の調査問い合わせ等は全くなく、その申告が誤りであり、不正の手続をした結果とは全くわからなかったのである。昭和五八年度の申告が同和会の申告書どうりに受理され、問題とされなかったことから、被告人は全く疑問を感じることなく、昭和六〇年二月、昭和五九年度の所得税の申告を同和会に依頼することになったのである。
このように被告人には原審が判断したように意図的に脱税をしようという認識は全くなく、同和会が税法等で許される範囲で適法に申告してくれているものとばかり思っていたのである。
なお、被告人の検察官に対する供述調書によれば各年度の申告を依頼するにあたり、「同和会が税金を少なくするために余分の書類を付け加える、正当でない計算をして安い税額を導きだして、申告してくれることを期待して」依頼したかのようになっている。しかしながら、これは全く事実に反するものであり、被告人の犯意をでっち上げようとした検察官の作文以外の何者でもない。弁護人は右供述調書記載部分の任意性を争ったが、原審は簡単に被告人質問をしその任意性を認め、証拠として採用している。被告人にいかなる学力や表現力があるかを全く検証しないまま予断と偏見に基いて証拠能力を認めてしまったのである。
そもそも被告人が真に不正の方法により税を脱がれようとしたものであったならば、同和会がしたような申告方法はとらないであろう。脱税は一般には、こそこそ隠してやるものであって、所得のほとんど全額といっても良い金額を隠してしまうことは考えられないことである。譲渡所得をごまかす一般的な方法は売主、買主双方の協議で売買価額を一~二割程度を圧縮してなされるのが普通である。譲渡所得は現在の時価高騰の折、必然的に高額になり、これを全額といって良い金額を隠して脱税すれば、重加算税も莫大な額となり、さらに高額の罰金も課せられることは周知のことであり、よほどのことが無いかぎり、出来るものではない。真に全額に近い額を隠してしまい脱税しようと意図していたものであるならば、それなりの用意周到な事前準備が必要であり、どのような方法で申告をするのか解らない同和会に頼めるようなものではないのである。むしろ本件は被告人が譲渡所得のほとんどを脱税してしまったこと自体に被告人の意図性を否定する状況を示すものと言えるのである。
本件は被告人が原審の公判廷で述べているように同和会が合法的に安い税金で済むよう申告してくれるものと信じて依頼したところ、同和会が不正の方法により多額の脱税をしてしまったというのが真相である。租税犯は行政犯の一種であり、刑法の一般理論がそのまま当はまるのものではない。法の命令や、禁止規定に違反することによって初めて成立する犯罪である。当該命令や、禁止規定を知らなければ、違法性の認識がなく犯意は阻却されるものと解さなければならない。なぜならば、違法性の認識がなければ道義的避難は課せられず、反社会性もないからである。とりわけ税法は複雑にして難解であり、各種の控除や特別措置、行政的配慮などが複雑に入り組んでおり法律家でさえも容易にマスターし難いものである。
世間一般の者は税理士や税務署の教示することをそのまま信じるものであり、税の申告をしてくれる者を信じて頼んでいるのが実情である。被告人が元々同和会に依頼した際、所得金額をごまかしていたのであるならばともかく全て明らかにし、その資料を渡し、同和会に依頼したので、同和会が多額のカンパ金欲しさに勝手に借用書類等を偽造して被告人の予測していた税額よりもはるかに低い税額で申告書を作成し申告してしまったものであり、被告人には全く犯意がなかったのである。
七 よって被告人の犯意を誤認した原審の判断は破棄を免がれないものである。
第二点 原審は被告人に対し、懲役一〇月の実刑及び罰金二、五〇〇万円を課しているが、その刑の量定は甚しく不当であり、破棄しなければ著しく正義公平に反するものである。
一 同和会の一連の脱税犯につき最も重い責任を負わなければならないのは、税務当局である。同和会は全て起訴状記載の架空債務をでっち上げる方法で脱税をして来ている。このように全く同一の方法で、それも昭和五六年三月頃から六〇年まで四年間に渡って、多数回、繰り返し行なわれて来たことに驚きを禁じえない。長谷部証人の供述によると三〇〇件位あるとのことであり、これらの方法は税務当局に相談し、その指導の下になされて来たとのことである。ある税務署内においては全部で一〇〇件位あるとの話もある。それにも拘らず、何ら、不正が摘発がされることなく、大手を振って何年間にも渡って通って来たのである。このような状況が申告者をして、同和会の申告に問題があることを知らしめずしてしまい、次々に依頼をする者を増加させていったものである。税務当局がそれ相応に対処して来ていたならば、被告人が同和会に申告手続を依頼することもなかったであろうし、多数の人も依頼しなかった筈である。被告人らのような無知な納税者はそれが脱税となると明確に意識せぬまま同和会に依頼して多額のカンパ金と称する手数料を掠め取られてしまったものであり、むしろ、税務当局の無責任行政の被害者と言って良いのである。しかるに原審は「税務当局の職務怠慢は甚だしいと言わざるをえないところ、被告人は、税務当局の同和団体に対する右のような態度に便乗して私利私欲をはかったもので、税務当局にも本件を誘発した責任の一部のあることは明らかであるけれども『被告人は脱税請負を利権化していた全日本同和会京都府・市連合会に身近な者として正規税額に比してごく少ない報酬で脱税を依頼していたものである』ので、税務当局の責任を被告人に有利な事情として大きく評価するのは相当とは言い難い」と判断し、税務当局の責任を軽視し、被告人を一方的に断罪し、過酷な刑を課しているのである。
二 被告人は、「私利私欲をはかって」税を脱税したものではない。税が低額であることは万人が望むところである。国家の権能、役割が益々、拡大、肥大化する近代国家おいて、国民の税負担は重くなる一方である。更に税制度自体必ずしも公平、適正であるとは言い難い状態でもある、被告人のように先祖伝来の土地を手放し一時的に多額の所得を得たにしても、その四分の一程の額を税金として支払わなければならない制度となっている。しかしながら、被告人及び父親は部落に生まれ育ち、水はけや日当たり等の条件の悪い土地を切り開き、田とし畑として細々と生きて来たのである。たまたま宅地開発が部落の近くまで及んで来て、部落の土地も世間並の値がつき売却できるようになっただけなのである。これで家も建て替えられ、庭も作れ世間並の住居が確保できるのである。しかしながら、被告人は小学校しか学歴がなく、他に手に職があるわけではなく、残りの人生は売却して得たお金に頼るしかないのである。かかる被告人が安い税金を望むことは当然である。被告人は税務当局から「同和地区の実情にあった配慮」がしてもらえるものと思い、同和会に税申告を依頼したものであって、同和地区の歴史的背景を捨象して考えられるものではないのである。
又、原審は被告人が同和会に「身近な者として、正規税額に比してごく少ない報酬で脱税を依頼した」と認定している。これがいかなる意味を述べているのか明らかではないが、推測するに、同和会が同和地区以外の者から税申告を依頼されたとき、正規税額の約半額をカンパ金として受領していたことから、その額に比べたら被告人が同和会に支払った報酬は低額であるとのことであろう。そして、そうなった理由は被告人が同和会辰巳支部の会員となって支部の行事(研修旅行)に参加したことから、同和会の身近にいるためということであろう。
そもそも、同和会も部落差別の解消、同和問題の解決を目的とした団体であって、同和地区の住民の生活改善、経済的地位の向上、環境改善等の諸活動をして来ている。従って地区住民のための活動は主要な課題なのである。従って地区住民の税の申告を手伝ってやるにしてもその報酬は低額であるのが当然であって、部落解放運動として望ましい姿であろう。従って同和地区の被告人が同和会に支払った報酬が同和地区外の人が支払ったカンパ金に比べて低額であることは決して怪しむべきことではないのである。弁護人としては原審の裁判官がこのことをとらえて悪質視することが、自らの差別意識、予断偏見に基くものではないことを祈るのみである。
三 更に原審は、「被告人は、当公判廷において自分は被害者であると述べるなど、今なお、真摯な反省悔悟の情に乏しく、脱税に係る正規税額こそ納めたものの、重加算税はその賦課決定に異議を申立てて未納であるので、本件の右のような悪質さ、重大さからすると、本件には左記に述べたように税務当局に責任の一部があること、被告人にはとりたてて言うような前科前歴もないことなどを考慮しても、なお、懲役刑について刑の執行を猶予すべきものとはいいえない。」と厳しく述べている。すなわち、被告人が「自分は被害者である。」と述べたこと、重加算税の賦課決定に異議申立をして納付していないことを最悪の情状としてとらえているのである。しかしながら、被告人が被害者意識を持つことは決して理解できないことではない。なぜならば、同和会が法に則っとりきちんとした申告をしてくれていれば、多額の重加算税を賦課されることもないし、又、脱税事犯を犯したということで逮捕、勾留されたり、多額の罰金刑を求刑されたりすることもなかったのである。重加算税、及び罰金額を合算すると五、〇〇〇万円を越える金額となるのである。さらに、同和会に支払った一、〇〇〇万円余りのカンパ金を加算すれば、莫大な金額となり、被告人の受ける損害が決して小さなものではないからである。原審流にいうならば、平均的サラリーマンの年収の七~八年分の金額にもなるからである。
又、重加算税の賦課決定につき異議を述べることは理由のないことではないのである。元々、法律によって不服申立の手続は保障されているものであって、当然の権利行使である。そもそも前述のごとく、一方で税務当局が同和会の違法な申告を長年放置して、同和会の申告を信頼させるような状況を作りながら、他方で同和会の申告を信頼した被告人に対し、重加算税を賦課してくることが納得できないからなのである。勿論、被告人が申立てた異議は認められるか否かは不明であるが、許された不服申立の手続をとったことを悪情状としてとらえることは、裁判を受ける権利を否定するに等しいと言わざるを得ない。税務当局が被告人の昭和五八年度の税の申告につき、誤りであり、違法であることを被告人に伝えてくれてさえいたら、被告人は罪となるべき事実記載のうちの第二記載の昭和五九年度の脱税事犯は起きなかった筈である。税務当局が違法な申告と知っていながら、そのまま放置しておいて、さらに同じような申告をさせる結果を招いても良いものであろうか。その点を原審の裁判官が考えず、一方的に被告人を不当に厳しく攻撃しているのである。
さらに、現実には、被告人は重加算税を支払いたくても支払う手持ちの現金、預金がないのである。現在、手持の現金は約一、七〇〇万円になっており、それに加えて保釈保証金八〇〇万円が、支払可能な金額である。これでやっと罰金が支払えるだけであり、直ちに重加算税を支払える状態でもないことが理解してもらえるものと思う。
四 被告人は、昭和六〇年八月一九日、本件事犯によって逮捕された。同日近所の村井幸男も同様の事犯で逮捕された(添付資料六参照)。村井幸男の脱税額は、実質的には被告人とほぼ同程度の額であり、脱税の犯意も争い、公判では「同和会に騙された」とも述べ、重加算税の賦課決定に対しても異議を述べ支払いをしていないのである。(添付資料七参照)。犯情、その余の情状は被告人と村井幸男との間にほとんど、変るところがなく、ほぼ、同一と言ってよい事案に対し、同一の裁判官が、被告人に実刑判決をなし、村井幸男に対し、執行猶予の判決をしているのである。このような不公平な判決が下されて良い訳がないのである。このことから言っても原審の量刑不当は明らかであり、著しく正義に反するものと言わざるを得ない。
添付書類
一 確認事項及び通達税の減免要項(部落解放同盟作成)
二 衆議院予算委員会議事録第一一号
三 衆議院予算委員会第二分科会議録第四号
四 衆議院大蔵委員会議録第一五号
五 京都上京税務署署長への要望と確認事項(全日本同和会京都府・市連合会作成)
六 新聞記事(京都新聞社)
七 判決謄本(被告人村井幸男)
八 新聞記事(京都新聞社)
九 判決謄本(被告人荒木ヒサノ外)